2007/3/24 土曜日

ナマケモノの理

Filed under: ニュース, エッSay — emedia @ 15:53:11

ふとGoogleのニュースを見ていたら、FORTRANの父、ジョン・バッカス(John Backus)さん死去のニュースに出合った[]。作られてから50年もたつのにFORTRANはいまだに活用され発展しつづけていて、その貢献には計り知れないものがある。私も学生時代に学び、実際にプログラムを組んで活用したこともある。そのような貢献をした人の言として、「わたしの成果の大半は、わたしが怠け者であることから生まれた」というのが引用されていた。なぜ「ハタラキモノ」でなくて「ナマケモノ」なのか・・・ そこにはひょっとしたら、「ナマケモノの理」 、更には「ナマケモノの利」といったものもあるのかもしれない。

上に挙げたニュースにも書いてあるように、機械語からFORTRANに言語を変えることで、 同じプログラムをつくるのに書く量が20分の1になったという。20分の1の努力で同じ仕事ができる、だからlazyというのかな。FORTRANとは、 「Formula translation」の略とあり、プログラミング言語に興味があって翻訳も引き受ける私としては、translation、即ち翻訳がその本質とする と、それを情報圧縮の観点からみても面白そうだ。

そういえば、アラン・ケイ(Alan Kay)さんと会議で話す機会があったときに、彼が「laziness」がとても大切といっていたことを思い出す。プログラミング言語では、lazy evaluation(遅延評価)という機能が、必要なときに必要な部分だけを計算するため、あるいは、自分自身を記述するreflectionという機能にも関連して重要な機能を提供するということも思い出される。これは、FORTRANでは実装が難しそうな機能で、実際、ジョン・バッカスさんがACMでチューリング賞をもらったときに遅延評価の機能がある関数型言語の利点を指摘する講演をしたという[2]。やはり、バッカスさんはlazinessの理を本音で本質的な意味で知っていたということかもしれない。

ものぐさの性がぬけない私としては、日ごろ「ナマケモノ」の自分をむちうって「ハタラキモノ」にならねばと反省の日々が続いているわけだけれども、 ナマケルことにも理があって利もあるのだということは、弁明ではなく、人の活動の本質に照らした議論としても興味深いものがある。

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